歩き旅 ①旅の手段としての歩き

歩き旅

日本国道路原票。道路のど真ん中にあり、信号が変わっているうちに撮らないといけない。そのためまっすぐ取れない。

日本橋の中央にある日本国道路元票には奮い立たされた。2001年12月24日午前8時ごろ、京都三条大橋まで旧東海道492kmをすべて歩く旅の第一歩は踏み出された。
それから20年近くが経ち、江戸幕府に定められた五街道は中山道と奥州街道の一部を残し踏破、この両者も2021年中には踏破するだろう。

2001年当時は旅と言えば青春18きっぷシーズンに電車で出るくらいだった。生活に余裕は出来てきたがまだ高速機関で容易に遠くへ行けるほどではない。ただ系統の違う旅もしてみたいと思っていたところに、降って湧いたように歩き旅が出てきた。

◎始まりは後輩の一言
そもそもなぜ歩き旅を始めたかだが、これは東海道歩きを始める前週に後輩と呑んだ時の一言から始まった。
この年の夏、青春18きっぷで東海道沿線を2泊3日の旅に出た。名古屋まで臨時大垣夜行、関西本線で大阪に入りなんばグランド花月、神戸で野球観戦し大阪に投宿が1日目、平等院鳳凰堂・安土城市と周ってナゴヤドームで野球を見て名古屋市内で投宿が2日目、3日目は東海道本線で東京に戻る。その3日目、静岡県内に入ったくらいから車内広告にやたらと東海道400年の広告があった。時間に余裕があったので降りてみたのが、蒲原宿だった。これが大正時代あたりの古い建物やなまこ壁の土蔵が並び、なかなか風情のある街並みだった。
後輩との呑みに戻るが、時期的に正月何するかの話になった。そこで俺が「東海道の宿場町を巡ってみようと思う」と言った。夏に見た蒲原宿みたいなところを探そうと思った。それに対する後輩の反応は「歩くんですか?」だった。全く考えていなかった反応、電車で周るつもりだったんだが、昔は歩いていたんだよなと考えがよぎった。

◎そこまで非現実的な話ではなかった
東海道五十三次は江戸・日本橋から京都・三条大橋まで、国道1号は大阪まで、東海道本線は神戸駅までという知識はあった。この三条大橋までがどれくらいの距離か、鉄道の知識を基に考えてみた。
東京-姫路間が600kmほどである。片道600kmを超えるとJRの乗車券往復割引が使えるようになる。それが東京起点だと西側は姫路になる。それを覚えていた。
関西地域の東海道・山陽本線には最高時速130kmを誇る新快速が走っている。姫路-京都間が1時間ほどで、おおよそ京都までは60kmくらいだろうと考えた。そうなると東京-京都間は540kmほど、時速4kmで10時間は歩けるだろうと考え、そうすると15日もあれば歩けることになる。
15日通しで歩くということは仕事を持っていれば難しいが、あるところまで歩いて一度東京まで戻り、再び歩くを繰り返せば十分可能なことではないだろうか。ましてや交通の発達している東海道沿いである。呑み終える頃には、やってみるかという機運は引き返せないところまで来ていた。

翌日区立の図書館に行ってみると、東海道歩きの本があった。全行程492kmと表紙に書いてあった。予想との差は1割ほど、これも決行の後押しとなった。こうして俺の旅の手段に歩き旅が加わった。

 

 

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